2007年 06月 15日
「善」の反対は、必ずしも「悪」ではない
高校生のときに人生落伍して
ニーチェの思想に開眼した
蘭です。こんばんは。
※以前の記事の続きとしてこの記事を書きます。
女性が自由を得るための運動であったフェミニズムが
過剰な運動となってしまい、それを恐れた運動がまた
フェミニズムに対するバッシングとなってしまった「バックラッシュ」と、
#アメリカで1990年代前後、日本では2000年代の出来事。
絶対的な真理(神様みたいなもの)から人間が人間らしくあるために
開放しようよっていう思想が宗教社会から批判された出来事、
#ニヒリズムを提唱したニーチェが生きていた1880年代前後のこと。
ってなんか似てるなぁと思った。
それまでみんなが「正しい」と信じてきたことを否定・批判されると
その信じてきた価値観・考え方が「悪」である、
みたいな発想に陥りがちだけど、蘭はそうは考えない。
そこに善悪はなく、単純に、
今までのもの以外にも選択肢が「増えた」だけだと考える。
だから、社会はその選択肢を選ぶ自由を与えるべきだと常々思うのだけど、
メジャーとマイナーが対立すると
マイナーの方がどうしても容認され難いことが残念でならない。
#例えば「選択的夫婦別姓」が未だに法律として認められないこともそう。
時代によって価値観・思想は進化する。
だから、何が正しいかは人それぞれが自分で判断すればいいんじゃないかと。
いろんな人がいていい社会が蘭の理想ですね。
【いろんな人がいていい社会】
蘭は「いろんな人がいていい社会」と同様に、
「なぜ人を殺してはいけないか」の説明として、
人間の免疫機構のしくみをよく用います。
高校の生物で学んだ人もいるかと思いますが、
免疫機構の有力な仮説として
バーネットの「クローン選択説」があります。
これは人間が、病気(の素となる抗原)に対抗するため、
常に骨髄の中で抗体を作り続けている、といったしくみです。
いつ襲われるかも、どんなものかもわからない抗原のために、
人間は自ら遺伝子をランダムに再構成して、
何百万もの種類の抗体を作って将来の危機に備えます。
未知の抗原なので、どの抗体が必要になるかがわからないためですね。
逆に言えば、ほとんどの抗体は、その役目を果たすことがありません。
それでも尚、どの抗体がその未知の抗原に対抗できるかもわからないので
せっせと人間の体は抗体を作り続けます。
その人の意思(思考)とは無関係に。
ここで、これが自然の摂理だとするならば、
人類にとっての人間が、その抗体に成り得るんじゃないかと蘭は考えます。
いつ襲ってくるかわからない“何か”に対して、
人類が65億種類(現在の世界人口)の人間を作り続けているとすれば、
どの人間がその“何か”に対抗できるかはわかりません。
そのためにも、いろんな人が存在しているのだと私は思うようになりました。
例え、ある種の人間が危険思想を持っていたとしても、
人類全体にとって、または地球やそれ以上のものにとっては
その人間が必要となる日が来るかもしれない、と蘭は考えます。
#注意:他の人を啓蒙する気はありません。
#みんながそれぞれ自由な意思、自由な思想であればと思います。
関連記事:
・どうして勉強をしなくちゃいけないか?
ニーチェの思想に開眼した
蘭です。こんばんは。
※以前の記事の続きとしてこの記事を書きます。
女性が自由を得るための運動であったフェミニズムが
過剰な運動となってしまい、それを恐れた運動がまた
フェミニズムに対するバッシングとなってしまった「バックラッシュ」と、
#アメリカで1990年代前後、日本では2000年代の出来事。
絶対的な真理(神様みたいなもの)から人間が人間らしくあるために
開放しようよっていう思想が宗教社会から批判された出来事、
#ニヒリズムを提唱したニーチェが生きていた1880年代前後のこと。
ってなんか似てるなぁと思った。
それまでみんなが「正しい」と信じてきたことを否定・批判されると
その信じてきた価値観・考え方が「悪」である、
みたいな発想に陥りがちだけど、蘭はそうは考えない。
そこに善悪はなく、単純に、
今までのもの以外にも選択肢が「増えた」だけだと考える。
だから、社会はその選択肢を選ぶ自由を与えるべきだと常々思うのだけど、
メジャーとマイナーが対立すると
マイナーの方がどうしても容認され難いことが残念でならない。
#例えば「選択的夫婦別姓」が未だに法律として認められないこともそう。
時代によって価値観・思想は進化する。
だから、何が正しいかは人それぞれが自分で判断すればいいんじゃないかと。
いろんな人がいていい社会が蘭の理想ですね。
【いろんな人がいていい社会】
蘭は「いろんな人がいていい社会」と同様に、
「なぜ人を殺してはいけないか」の説明として、
人間の免疫機構のしくみをよく用います。
高校の生物で学んだ人もいるかと思いますが、
免疫機構の有力な仮説として
バーネットの「クローン選択説」があります。
これは人間が、病気(の素となる抗原)に対抗するため、
常に骨髄の中で抗体を作り続けている、といったしくみです。
いつ襲われるかも、どんなものかもわからない抗原のために、
人間は自ら遺伝子をランダムに再構成して、
何百万もの種類の抗体を作って将来の危機に備えます。
未知の抗原なので、どの抗体が必要になるかがわからないためですね。
逆に言えば、ほとんどの抗体は、その役目を果たすことがありません。
それでも尚、どの抗体がその未知の抗原に対抗できるかもわからないので
せっせと人間の体は抗体を作り続けます。
その人の意思(思考)とは無関係に。
ここで、これが自然の摂理だとするならば、
人類にとっての人間が、その抗体に成り得るんじゃないかと蘭は考えます。
いつ襲ってくるかわからない“何か”に対して、
人類が65億種類(現在の世界人口)の人間を作り続けているとすれば、
どの人間がその“何か”に対抗できるかはわかりません。
そのためにも、いろんな人が存在しているのだと私は思うようになりました。
例え、ある種の人間が危険思想を持っていたとしても、
人類全体にとって、または地球やそれ以上のものにとっては
その人間が必要となる日が来るかもしれない、と蘭は考えます。
#注意:他の人を啓蒙する気はありません。
#みんながそれぞれ自由な意思、自由な思想であればと思います。
関連記事:
・どうして勉強をしなくちゃいけないか?
by rankaran
| 2007-06-15 00:00
| 思うこと